大船渡から南下し、桜ライン311の植樹、南三陸町防災庁舎へ
3月26日から27日へかけての旅は、中学校の同級生2人とその友人2人、総勢5人の旅となった。
今回は初めて岩手県の大船渡から南下するコースを取った。夜の東北高速道路を交代で運転して一ノ関まで北上して高速道を下り、朝の光の中を50km東へ行って陸前高田に着いた。昨秋見た巨大ベルトコンベアは撤去され、あちこちでかさ上げ工事が進んで台形の盛り土が見える。ネットで調べたホテルは高台に建て替えられ、目当ての食堂はなくなっていた。結局、朝食は大船渡の新設された魚市場でとることになった。
ここから防潮堤のかさ上げ工事の進む門の浜を経て、桜ライン311の植樹祭を見学した。
その後、陸前高田の震災遺構の「道の駅高田松原」に寄ったあと、第一日は定宿の気仙沼、唐桑ユースホステルに投宿した。
二日目は気仙沼から、歌津の寄木漁港、南三陸の防災対策庁舎、大川小学校と女川を経て、石巻線の渡波(わたのは)駅で皆と別れて一足先に帰路についた。
気仙沼では、復興の進む気仙沼港を高台の気仙沼プラザホテル屋上から撮影した。歌津の寄木漁港では真新しい港湾施設が真っ白なコンクリートで再建され、防波堤も少し高くなっていた。
南三陸町では、かさ上げ工事が進んで風景が一変し、いつも撮影してきた気仙沼線の志津川のトンネルが見つからない。その代りに南三陸の防災対策庁舎に初めてたどり着いた。
2012年5月には空襲跡のようながれき撤去後の志津川を撮影したが、その片隅に防災対策庁舎の鉄骨も写っていたようだ。
大川小学校には、相変わらず見学の人の姿が絶えない。校舎を震災遺構として残していくのかどうか、さまざまな立場から議論がなされていたが、この日の河北新報には石巻市長が校舎全体の保存の方針を明らかにしたという記事が載っていた。
子供たちを慈しむ思いがあちこちに沁み込んだこの校舎が、強烈な震災の被害の記憶を歴史に残し、犠牲者への祈りの場所として残されることを歓迎したい。何度もこの地を訪れてきた私には、ここが広島の原爆ドームのような聖地に思えてならない。
女川では駅前の商店街が整備されてにぎわっていたが、行程に余裕がなくなって、写真は撮れなかった。
各地の復興は着実に進んでいるが、大規模なかさ上げ工事の後に、地域社会の人々のネットワークが、どのように再建されるのか、懸念を抱かざるを得なかった。
2016-03-26〜27 旅程概観